勝てるかどうかは、まれびとさん次第やったんです。
最初のころはもう、自分の力じゃどうにもならんくて。
義刃塚でまれびとさんを呼んで、「お願い…頼むで…!」って祈りながら、その背中を見送るのが日課でした。
火車も弓勢拳もまだなくて、ただ避けて、倒れて、また挑む。
そんな毎日をくり返してました。
それでも、まれびとさんと一緒に立ち向かう時間は、なんや不思議と楽しくて。
うまくいかへんのに、「もう一回だけ」って思える瞬間があったんです。
今振り返ると、あのころがあったからこそ──
“自分のペースで遊ぶ仁王2”が、いちばんおもしろいって思えるようになりました。
この記事を読むとわかること
- 『仁王2』で何度も挫けながらも前に進む過程と心の変化
- 火車と弓勢拳を使った、ゆるくも前向きな戦い方
- まれびとさんとの協力がもたらす楽しさと支えの大切さ
気づけば、まれびとさんに頼りきりでした。
最初のボス戦は、まれびとさんがいなかったら絶対に勝てへんかったと思います。
気づけば呼ぶのが当たり前になってて、「今日もお願いしまーす!」って感じで挑んでました。
ボス戦はいつも義刃塚のまれびとさん頼みから始まった
正直、自分の力ではどうにもならんかったんです。
義刃塚でまれびとさんを呼び出して、「お願い…頼むで…!」って祈りながら武器を構えるだけ。
開幕でまれびとさんが走っていく背中を見送るのが、私のルーティンでした。
“支援”という名の後方アタック
できることといえば、後ろから攻撃して気力を削ることくらい。
まれびとさんが敵の気を引いてくれてる間に、こっそり数発当てて、すぐ離脱。
最初はそれだけで精一杯やったけど、何回か一緒に挑むうちに、だんだん呼吸が合ってきました。
気がつけば、まれびとさんと息を合わせて「今や!」って一緒に攻撃してる瞬間が増えてきて。
そのとき初めて、「あ、私もこの戦いの一部なんや」って思えたんです。
何とか倒せたけど、実感はなかった
初めてボスを倒せた。
……いや、正確にはまれびとさんに倒してもらえたんかもしれません(笑)。
でも、達成感よりも「まれびとさん強かったなぁ…」のほうが大きくて。
「私、ほんまに戦ってたんやろか」って思うくらいでした。
けど、それでも勝てたことは素直にうれしかった。
“まれびとさんと一緒なら、まだやっていけるかも”──そう思えた瞬間でした。
アンインストールと再インストールをくり返してた。
気づけば、ボスにやられてアンインストール。
ちょっと休んで、またやりたくなって再インストール。
そんなループを、何回もくり返してました。
何とかボスを倒して進んでたけど、とんでもないのが出てきた
少しずつ勝てるようになって、「あれ、私ちょっと慣れてきたかも?」って思い始めたころ。
次のステージで出てきたボスを見て、固まりました。
デカい、速い、痛い。
どの攻撃も避けられへんし、当たったら一瞬で力尽きる。
「なにこれ?おかしいやん!」って思わず声が出ました(笑)。
必死に挑んでも一瞬でやられて、画面の前でコントローラー握ったままフリーズ。
心の中で“ポキッ”って音がした気がしました。
これ無理ぃ~! → アンインストール
何回挑んでも、一瞬で終わった(笑)。
近づいたら必ず攻撃をくらう。
「間合いどこ!? いつ殴ったらええの!?」って叫びながら転がってました(笑)。
「これ無理ぃ~!!」って叫びながらコントローラーを置いて、その勢いのまま“アンインストール”。
アンインストールして、なんかスッキリ!
しばらくは戦わんとこって決めて、のんびり生活系のゲームをの〜んびり。
釣りしたり、畑を耕したり、家具を並べたり。
あの静けさが、仁王2でボコられた心にじんわり効きました(笑)。
気づいたらまた、インストールしてた
生活系のゲームでのんびりして満足して、「やっぱ平和がいちばんやな〜」って思ってたはずやのに。
……でも、なぜかまた仁王2がやりたくなる。なんでやろ?
戻ってもまたボコボコにされるのに、なんか戻ってしまう。
なんでか自分でもわかりません。
たぶん、あの世界には、うまく言えん“引力”みたいなもんがあるんやと思う。
気づけばまた刀を握って、「もう一回だけ」って言うてる自分がいました。
火車と弓勢拳で、世界がちょっと変わった。
アンインストールを何度もくり返して、「もう無理かも…」って思ってたけど――。
火車と弓勢拳、このふたつを手に入れてから、戦いが少し楽になりました。
避けてばっかりやったのに、「もうちょっといけるかも」って思える。
そんな小さな変化が、仁王2の楽しみ方をまるごと変えてくれたんです。
火車を手に入れて、ちょっとだけ心に余裕ができた
前は何回挑んでも、力尽きるばかりやったボス。
まれびとさんの大活躍でなんとか倒せて、ようやく“火車”が使えるようになりました。
これが、ほんまに大きかった。
火車を出してる間だけ、ちょっと安心できる。
それだけで、戦いがぐっと楽になったように感じました。
うれしくなって、メインクエストも気軽に行けるようになって。
気持ちに少し余裕ができたおかげで、寄り道も気軽にできるようになりました。
装備を拾ったり、景色を眺めたり。
戦う以外の時間も、ようやく“楽しい”って思えるようになったんです。
弓勢拳を覚えて、ちょっと強気になれた
それまでは逃げて避けて、火車でなんとかやり過ごす日々。
でも“弓勢拳”を覚えてから、流れがちょっと変わりました。
「おぉ、これ…人型の敵にめっちゃ効くやん!」
初めて撃ったときのあの衝撃、今でも覚えてます。
それまでの私は、ずっと逃げ腰。
けど弓勢拳があれば、「このやろ、このやろ!」って前に出られる(笑)。
タイミングよく当たると、まるでカウンターが決まったみたいで、気分爽快でした。
火車を出して、勢いで殴りにいく──この流れがハマったときは、「おぉ、私ちょっと戦えてるかも?」って錯覚するくらい。
もちろん、すぐ力尽きることも多いんですけどね(笑)。
でも、戦うこと自体が少し楽しくなってました。
なんかよくわからんけど勝ってた
火車を回して、弓勢拳を撃って、まれびとさんに支えてもらって。
ちゃんとした立ち回りではないけど、気づけばボスの体力がゼロになってる。
「おぉ! 倒せたぁああっ!」って叫んでました。
そして自分に「なんで倒せたん?」ってツッコむ(笑)。
冷静に考えたら運のほうが大きかった気もするけど、それでもうれしかった。
うまくなくても、倒せたらそれでええ。
完璧じゃなくても、前に進めたらそれでええやん。
それくらいの気持ちで、今日も遊んでます。
まとめ:今日も、火車と弓勢拳に助けられてます。
あのころ「これ無理ぃ〜!」ってアンインストールしてた私が、今は火車を呼んで、弓勢拳を撃って、なんやかんや自分の手でボスに挑んでます。
まれびとさんに頼ってた日々もあったけど、今はこのふたつの技が、いちばん頼もしい相棒です。
正攻法でもないし、立ち回りもまだまだ。
それでも「おぉ、倒せたぁああっ!」って叫ぶ瞬間があるたびに、やっぱりこの世界が好きやなぁって思うんです。
焦らんでもええし、うまくなくてもええ。
寄り道しながら、笑いながら、今日ものんびり仁王2の世界を歩いてます。
火車の炎も、弓勢拳の一撃も、私にとっては“楽しむ自信”をくれた存在。
これからもゆるく、楽しく、この世界で小さな前進を積み重ねていけたらええなぁと思います。
※本記事は、筆者「よもぎ」が実際にプレイして感じた内容をもとに執筆しています。
この記事のまとめ
- 『仁王2』を何度もやめては戻る中で見つけた、自分らしい遊び方
- 火車と弓勢拳がもたらした、ゆるくも前向きな戦いの変化
- まれびとさんとの協力が、楽しさと成長のきっかけになる
- 完璧じゃなくても、寄り道しながら進めばそれでええという気づき
- “うまくなくても楽しい”を大切にする、よもぎ流の仁王2体験記


