『仁王2』は、ほんまに“骨のある”アクションRPGです。
正面から挑むと、一瞬で力尽きることもざらにあります。
でも私は、そんな中でも寄り道を重ねながら、自分なりに“楽しく勝てる道”を探してきました。
奈落獄の深部では、敵と正面衝突せずに透っ波の術+猫歩きの術でスルー。
宝箱を開けてオオヤマツミの恩寵を集める──まさに「寄り道プレイ全開」です。
そうやって積み重ねた工夫が、「防御・属性耐性・自動回復」を兼ね備えた安心のビルドへとつながりました。
この記事では、そんな私の寄り道ビルドが形になっていく過程を、体験ベースでゆるっと振り返ります。
この記事を読むとわかること
- 『仁王2』を寄り道しながら楽しむ“よもぎ流プレイ”の魅力
- 火車との出会いからビルド完成までの実体験ストーリー
- 正攻法にこだわらず、自分のペースで楽しむコツと気づき
寄り道から始まった仁王2ライフ
『仁王2』を始めたその日から、私の中では“寄り道精神”が根づいていました。
正面から突っ込むより、まずは装備を整えてから挑む。
焦らず回り道をして、自分のペースで強くなっていく──そのほうがずっと安心できるし、気持ちにも余裕が生まれるんです。
この「安心の積み重ね」が、後に私のプレイスタイルの基盤になりました。
何周しても、どの敵に出会っても、「寄り道して準備する」ことが自然と身についていたんですよね。
手甲一本に落ち着いた理由
最初は刀や槍、斧に大太刀…といろいろ試しました。
けど、どうしてもピンと来なくて。
攻撃の間やリズムが、自分の感覚とズレるんです。
そんな中で出会ったのが手甲。
初めて構えた瞬間に、「あ、これやな」って思いました。
手数の速さと、敵との距離感の近さがたまらなく気持ちよかった。
まるで“自分の呼吸で戦ってる”ような感覚。
それからはずっと手甲一本。
どんな強敵も、この拳で乗り越えてきました。
正直、今でも「手甲以外の仁王2」はちょっと想像できません。
寄り道の楽しさに目覚める
ゲーム序盤、私はストーリーそっちのけで血刀塚巡りに夢中になってました。
倒れたプレイヤーさんの装備を拾って、「おっ、この防具かっこいい!」って一喜一憂して。
あの赤い刀塚を見つけるたびに、宝探しみたいなワクワクがあったんです。
何が出るかわからないドキドキと、拾った装備を試すワクワク。
「ストーリーを急ぐより、今はこの時間が楽しい」──そう感じていたのを、今でもよく覚えています。
「だって最初から敵つよいんやもん…」
寄り道が増えた理由? それはもう、単純です。
敵が、最初からめちゃくちゃ強い。
「ちょっとぉ〜!なんでこんな固いん!」と声に出しながら、一撃でやられては、装備を見直して、また寄り道。
それを繰り返すうちに気づいたんです。
「勝てへんから寄り道してるんやなくて、寄り道してる時間こそが、このゲームの醍醐味なんやな」って。
「だって最初から敵つよいんやもん…」──そうぼやきながら笑ってる自分が、なんだかちょっと誇らしかった。
そこから、私の“寄り道プレイ”が本格的に始まりました。
火車との出会いが転機に
『仁王2』を何時間も遊んでいると、「あ、この技は自分のプレイスタイルを変えるな」って瞬間があるんです。
私にとってそれが、妖怪技「火車」でした。
最初に召喚したときの衝撃、今でも覚えてます。
炎をまといながら突っ込んでいくその姿があまりにも頼もしくて、「うわ、この子、私より前出てるやん…!」と笑ってしまったほど。
そこから私の戦い方が、がらりと変わりました。
実は火車は、敵を炎上させてじわじわ削ってくれるだけやなくて、妖怪技を出しているあいだ、こちらの体力を少しずつ戻してくれるという安心感たっぷりの技でもあります。
この「攻めているのに、同時に立て直せている」という感覚が、本当に心強いんです。
それに気づいてからは、私の中で「回復しながら攻める」という新しいリズムが生まれました。
火車を魂代として使うときは、できれば妖力コスト軽減系のオプションをひとつ入れておくと、奈落獄やボス戦でも何度も呼びやすくなります。
「ここちょっと押されてるな」と感じたタイミングでさっと呼び出せるだけで、プレイ全体の安定感がぐっと上がりました。
火車と並んで戦う安心感
火車を出すと、画面の中に“ひとりじゃない”安心感が生まれます。
炎に包まれたその車輪が、敵に突っ込んでいくたびに、「うちも負けへんで」って自然に気合が入る。
ボスの攻撃で吹き飛ばされたとき、火車が横を駆け抜けていくのが見えると、なんだか励まされてる気分になるんです。
その瞬間、「ああ、これはもう私の相棒やな」って思いました。
安心できるスタイルを模索
火車と出会ってから、私は戦い方を見直しました。
勢いで押すより、“倒れにくさ”を最優先にするスタイルへ。
重めの防具を着て、敵の攻撃を受け止めながら、少しずつ削っていく──そのじっくり感が私には合ってたんです。
焦らず、一歩ずつ。
それがうまくハマったときの安定感と心地よさは、もう手放せなくなりました。
じわじわ効いてくる火属性の楽しさ
火属性の力で敵をじわじわ削る戦い方も、私の性格にぴったりでした。
一発ドカンと決まる派手さはないけど、「確実に効いてる」って実感できる小さなダメージの積み重ねが好きなんです。
火車の炎と手甲の打撃で、敵の体力が少しずつ減っていくのを見るたびに、「よし、じわってるじわってる…」とニヤリ。
あの感覚、クセになります。
奈落獄で見えた“防御の壁”
そんな私でも、奈落獄に入った瞬間は衝撃でした。
最初の一撃で、「うわっ、敵の攻撃力おかしくない!?」と声が出たくらい。
火車と一緒に突っ込んでも、あっという間に力尽きる。
まるで世界がひとつ上の次元に切り替わったような感覚でした。
でもそのとき、私は気づいたんです。
“倒れない力”こそ、私がずっと追い求めていた安心なんやなって。
殴りながら耐える、私の流儀
そこからの私は、防御を固めながら殴るスタイルに切り替えました。
火車の回復効果を頼りに、手甲で攻めて、少しずつ敵を削る。
攻めながら回復し、立て直しながらまた攻める──
そのリズムが、自分の呼吸とぴったり合っていく瞬間があるんです。
そのとき感じた「よし、これがうちの流儀やな」っていう感覚。
あれは仁王2の中でも、特別な達成感のひとつでした。
「まだ足りひん…」と思った瞬間
もちろん、順風満帆ではありません。
炎や雷の攻撃で一瞬にして体力を奪われるたびに、「これじゃあかん、まだ足りひん…」と悔しくて。
でもその“足りひん”があるから、また工夫したくなる。
防具の構成を考え直したり、火車のタイミングをずらしてみたり──
その試行錯誤の時間こそ、私がいちばん好きな瞬間なんです。
戦いながら「今、少しずつ噛み合ってきたな」って感じられると、たまらなくうれしい。
仁王2って、ほんまに奥深い。
そして、その奥深さを“自分のペースで掘っていける”のが、私の一番の楽しみです。
属性耐性で“ようやく落ち着いた”
何度も調整を繰り返して、ようやく炎や雷にも怯えずに立てるようになった頃。
画面の中で敵の攻撃を受けても、体力ゲージが思ったより減らなかった瞬間、「おっ、今の…耐えたな」って思わず声が出ました。
あの手応えは、ステータス画面では見えへん“生きた感覚”なんです。
数字が上がったとか、%が減ったとか、そういうことよりも──
実際にその一撃を受けて、踏みとどまれたという実感。
それが何よりうれしくて、ちょっと笑ってしまうくらい達成感がありました。
「ここまで来たんやなぁ」って、ゲームの中で静かにうなずいた瞬間です。
数字より“感覚”でわかる安心感
仁王2を長く遊んでいると、「もう数値より、自分の体感のほうが信頼できる」って気づく瞬間があります。
炎や雷を受けても“焦らなくなった”とき。
その小さな余裕が、実はものすごく大きい変化なんです。
ステータスがどうこうよりも、「あ、今の私ならいける」って思える自信。
その感覚があるだけで、世界が少しやさしく見える。
そしてその一回の“耐えた”が、次の寄り道を探す力になります。
「もっと安心したい」「もうちょいヌルくしたい」って、自然と工夫したくなるんですよね。
それが私にとって、仁王2を続ける一番のモチベーションになっていました。
体の深奥との出会いで“回復の安心”を知る
そんなある日、奈落獄の探索で拾った一枚の絵巻に、「体の深奥」という文字が見えました。
効果を試してみて驚いたのが、基本能力値の「体」が150以上になると発動する特殊効果で、体力が70%以上あるときに自動でじわっと体力が回復していくという点でした。
攻撃しながら回復するだけじゃなく、攻撃しなくても勝手に体力が戻っていくので、「ちょっと距離置こか」と下がっている時間そのものが立て直しのチャンスになるんです。
それまで“耐える”ことに集中していた私は、この仕様に気づいた瞬間、戦いの流れそのものがふっと軽くなりました。
攻めても守っても安心できる
敵に向かって手甲を振るたびに、体力ゲージが少しずつ回復していく。
その自然な回復のリズムが、私の呼吸とピタッと合った瞬間がありました。
「あ、これや…これ、私のペースやなぁ」って。
無理に攻めず、焦らず、でも確実に立て直していく。
その安心感は、これまでのどんな装備よりも頼もしかった。
やっと“攻めても守っても怖くない”状態になって、仁王2の世界が少し穏やかに見えた気がしました。
あの静かな安堵感は、たぶん1000時間遊んできた中でも忘れられへん瞬間のひとつです。
オオヤマツミの恩寵で“完成”を感じた
長い寄り道の果てに、ようやくたどり着いたのがオオヤマツミの恩寵でした。
それを奈落獄の深部で見つけた瞬間──思わず、息が止まりました。
あの暗い空間で光る宝箱を開けたとき、画面に“オオヤマツミ”の文字が出た。
その一瞬で、これまでの苦労や工夫、何度もやられてきた記憶が全部よみがえってきたんです。
「ようやくここまで来たかぁ…」と、自然に口からこぼれた言葉。
達成感というより、“静かな満足”でした。
オオヤマツミの恩寵は、いざ揃えてみると私が欲しかった「倒れにくさ」がぎゅっと詰まったセット効果でした。
体力上限がぐっと増えるだけやなく、被ダメージを抑えてくれたり、浄属性でじわっとサポートしてくれたりと、「とにかく立っている時間を長くしたい」私にはぴったりの組み合わせ。
そこに基本能力の「体」を200まで振るという方向性を合わせることで、いわば“オオヤマツミの土台を最大まで活かす”形になりました。
数字だけ見ればちょっと極端やけど、「防御の壁をもう一段上げたい」と感じていた私には、この極振りがしっくりきたんです。
奈落獄で安定したいと思ったとき、この恩寵をひとつの目標にしておくのは、決して損やないなぁと今でも思っています。
透っ波+猫歩きで宝箱探し
奈落獄の深部は、もう空気からしてピリついてる。
一歩踏み出すだけで敵の気配がざわつくような世界で、私はあえて“戦わない”ことを選びました。
透っ波の術と猫歩きの術で、足音も気配も消して、敵の目をかいくぐりながら静かに宝箱を開けていく。
あの緊張感と集中の中で、鍵を開ける「カチッ」という音が響く瞬間がたまらなく好きでした。
透っ波と猫歩きは、どちらも忍術スキルポイントを振れば習得できる、かなり手が届きやすい探索用の忍術です。
ふたつを同時に掛けると、敵に見つかりにくくなるうえに、背後に回り込みやすくなったり、そもそも戦闘そのものをスキップできたりします。
特に奈落獄のような長丁場では、「このフロアは戦う」「このフロアは抜けるだけ」と自分でペース配分できるのが本当に大きいんです。
「今日は探索メインにしよか」と決めて透っ波+猫歩きで歩くだけで、心の緊張がふっとゆるみます。
「戦ったらやられる、なら戦わんでええやん」。
それは、逃げじゃなく“私なりの戦い方”でした。
仁王2が教えてくれたのは、倒すことだけが強さやないってこと。
静かに動いて、確実に成果を持ち帰る──それが、私の寄り道の極意です。
体力9963に思わず笑う
そして、オオヤマツミの恩寵を揃え終えたあと。
基本能力を振り直して、試しに「体」に200ポイント全部入れてみたんです。
ステータス画面を見て、思わず二度見。
体力9963。
「もう人間ちゃうやん!」と、ひとりで笑ってしまいました。
でもその数字を見たとき、心のどこかで少し誇らしかった。
何度もやられて、試して、工夫して。
“楽して勝つ”ために積み上げてきた時間が、ちゃんと形になった気がしたんです。
仁王2の世界は、いつも厳しくて、時々やさしい。
その中で、自分なりのペースで積み上げた結果が、この9963という数字でした。
あのとき感じたのは、「強くなった」じゃなくて「ここまで寄り道してよかったなぁ」って気持ち。
あれが、私にとっての『仁王2』の完成でした。
まとめ:寄り道こそ、自分らしい遊び方
思い返せば、火車との出会いも、防御との葛藤も、属性耐性の工夫も、ぜんぶ“寄り道”の中で見つけた小さな発見でした。
最短距離で強くなる道はきっと他にもあったと思う。
でも私は、遠回りした分だけ、自分のペースで遊ぶ心地よさを知りました。
仁王2は、正攻法で突っ込めば何度もやられるし、時には心が折れそうにもなる。
でも、そこに「寄り道していいんやで」と言ってくれる懐の深さがあるんです。
それを感じた瞬間から、このゲームは“ただの高難易度アクション”やなくなりました。
「だって最初から敵つよいんやもん…」──あの一言が、私のすべての始まりでした。
正面からぶつかって倒せなくてもええ。
透っ波で抜けて、猫歩きで静かに宝箱を開けて、少しずつ自分のペースで世界を広げていく。
その積み重ねが、気づけば私の“仁王2ライフ”を形づくっていました。
気づいたら、私の中での“攻略”の意味が変わってたんです。
倒すことより、楽しめる形に整えること。
焦るより、安心できるリズムを作ること。
それこそが、長く遊んできた中で見つけた「よもぎ流の答え」でした。
これからも、“強敵はあとまわし。回復してから向かうんが、うちの流儀”。
無理せず、寄り道しながら、自分のペースで歩いていこうと思います。
この記事のまとめ
- 寄り道を重ねながら見つけた、自分らしい『仁王2』の楽しみ方
- 火車との出会いをきっかけに生まれた安心ビルドの流れ
- 「強敵はあとまわし」でマイペースに進む、よもぎ流の遊びの哲学


