『仁王2』の奈落獄に足を踏み入れた瞬間、思わず声が出ました。
「いやこれ無理やろ…」――1階層で早くも力尽きて、画面の向こうでただ呆然。
敵の圧がとにかくすごくて、攻撃を合わせる前にあっという間にやられてしまう。
それでも、不思議とコントローラーを手放せませんでした。
あのとき、心の中にあったのはただひとつ。
「もう一歩、先を見たい」という想いだけでした。
倒されても、次こそはと立ち上がる――それが自然にできていました。
焦っても進めへん。
立ち止まって考えたら、意外と光が見える。
奈落獄は、そんな「心の動き」まで映す場所でした。
この記事では、何度も力尽きながらも笑って進んだ、私の奈落獄体験を振り返ります。
「これ無理やろ…」と思ったあの日から、少しずつ深くへ潜っていけた、その道のりを。
この記事を読むとわかること
- 『仁王2』奈落獄をゆるく楽しむ体験のリアルな心の動き
- 力尽きながらも前に進めた“自分のペース”の見つけ方
- 焦らず笑って挑むことで見えてきた奈落獄の魅力
奈落獄1階層での大転換
奈落獄に入ってすぐ、最初の一戦で自分の攻撃がほとんど通らず、相手の一撃で体力が半分以上削れました。
「いや、これ絶対進めへんやつやん…」とつぶやいたのを、今でも覚えています。
指先が一瞬止まったけど、それでもコントローラーを置けませんでした。
「この世界をもう少し見てみたい」という好奇心が勝っていたんです。
ただそれだけで、もう一度立ち上がる理由には十分やったんです。
……奈落獄、なにここ!?
一発もらっただけで体力半分なくなるんやけど!
あかん、初階層からすでに修羅場やん!
敵の火力が桁違いで、開始数分で心が折れそうになりました。
で、その現実を思い知った瞬間――
「いやいや敵の強さおかしいやん」「なんやこれ」「ほんまに進めんのこれ!?」「強すぎひん!?」って、心の中でひとりツッコミ大会してました。
そんなツッコミを繰り返してるうちに、だんだん悟りました。
「これ、正面からぶつかっても無理やな」って。
安全第一でのんびりやることに
最初のうちは、焦って飛び込んで、何度も力尽きて。
「もう無理せんとこ」と思ったのは、たぶん十数回目の挑戦あたり。
そこからは、音に耳を澄ませて、間合いの“気配”を感じるようになりました。
ほんの一瞬でも“落ち着いて動けた”ときの感覚が、たまらなく気持ちよかったんです。
奈落獄では、勇気よりも冷静さのほうが大事。
焦って挑むより、一歩下がって見渡した方が生き延びられる。
そうやって“戦わない選択”を覚えたとき、ようやくこの世界が少し優しく感じられました。
強化にハマっていく日々
いつの間にか、戦うより装備をいじる時間の方が長くなっていました。
鍛冶屋で魂合わせして、「いや、強化しすぎやろ…」って笑いながら、素材を集め続けていたんです。
でも不思議と、その時間がいちばん落ち着く。
敵に勝てなくても、“数字が上がる”という小さな進歩が確かにあったから。
奈落獄は、派手な勝ち方を教えてくれる場所じゃない。
大事なのは、“積み重ねの手触り”を信じられるかどうか。
準備する時間を楽しめるようになってから、ようやく奈落獄が“怖い場所”ではなく“向き合える場所”に変わっていきました。
レベル上げも寄り道の一環
気づけば、道中の素材集めや敵との小競り合いが楽しくなってました。
「どんだけ回ってんねん!」って自分にツッコミを入れながらも、気がつくとレベルがぐんぐん上がっていく。
効率なんて考えてなかったけど、その“無駄に見える時間”こそが、私にとっての成長そのものでした。
奈落獄って、急いで進むほど世界が狭くなる場所なんですよね。
寄り道して、立ち止まって、笑って。
そんな時間の積み重ねが、私にとっての“奈落獄の攻略”やったんやと思います。
やりすぎ装備にも限界がくる
しばらくは、自分で鍛え上げた装備に助けられてました。
どれだけ強敵が出ても、積み上げた強化で乗り越えられる――そう思ってたんです。
けど、奈落獄はそんなに甘くなかった。
ある時、見慣れた雑魚敵の一撃で体力がほぼ吹き飛んで、「いやもう、これ無理やろ…!」と笑うしかなくなりました。
強化しても追いつかない敵の火力。
“積み上げた努力”が通じない瞬間って、ほんまに心にきますね。
でもその絶望の中で、「あ、戦い方を変えなあかん」とようやく気づきました。
“戦わない”選択
それからは、戦うことより“どうやってやり過ごすか”を考えるようになりました。
猫歩きの術で足音を消して、透っ波の術で気配を消す。
敵の背中をすり抜けるたび、心臓の音が自分でも聞こえるくらいドキドキしてました。
正面から挑むんやなく、見つからずに抜ける。
「これ、もう忍者ごっこやな…」って笑いながら、こっそり宝箱を拾ったり。
緊張とおかしさが混ざったような時間が続いて、気づけばその感覚すら楽しくなってたんです。
奈落獄は“倒すことだけが正解じゃない”と教えてくれた場所でした。
逃げることも、生き延びることも、ちゃんと前に進む手段。
そう思えたとき、世界の見え方がふっと変わりました。
小さな達成を積み重ねて
隠れて進むうちに、時々は敵に見つかって大慌て。
「うわバレた!」と叫びながら、地蔵木霊ちゃんを救出して全力ダッシュで逃げる。
そんなドタバタ劇の繰り返しやったけど、不思議と嫌じゃなかったんです。
地蔵木霊ちゃんを助けて「よかった、間に合った」と思うたび、画面越しにほっとしてました。
強くなるためにやってたはずの奈落獄が、いつの間にか“誰かを助けたい”って思える場所になってた。
その変化に気づいたとき、この世界が急に愛しく見えたんです。
気がつけば、戦うより“生き抜く工夫”に夢中になってました。
それが私にとって、奈落獄の一番の楽しみ方やったんです。
仲間と一緒に挑む奈落獄
奈落獄のボスたちは、何度挑んでも立ちはだかる“壁”みたいな存在でした。
一人で挑んでいた頃は、攻撃パターンを見切るよりも、先にやられるほうが早くて。
「いや、これ絶対無理やろ…」って笑いながらも、諦めきれなかったんです。
そんなある日、ふと「誰かと一緒にやってみようかな」と思い立ちました。
地蔵木霊でNPCを呼び、義刃塚から“すけびと”を召喚。
画面に仲間の姿が現れた瞬間――不思議と胸の奥が温かくなったんです。
たとえ見知らぬ存在でも、「一緒に立ってくれる誰か」がいるだけで、あの静かな奈落獄が少し明るく見えました。
1人じゃないって心強い
「1人じゃ無理でも、みんなでならいけるかも」――その気持ちが、挑戦の原動力になっていきました。
仲間が攻撃を受け止めてくれた瞬間に「今や!」と斬り込む。
うまく連携できたときの爽快感が、たまらなかったんです。
たとえ全員やられてしまっても、「今の惜しかったな」「次こそいける」って自然に笑えて。
一人で戦っていたときには味わえなかった“前向きな悔しさ”がそこにありました。
奈落獄の難しさって、敵の強さより“孤独”なんやと気づいたのはこの頃です。
繰り返す挑戦の先に
何度もやられては立ち上がってを繰り返すうちに、いつしか体がボスの動きを覚えていきました。
仲間が放つ一撃に合わせて動くタイミング、攻撃の間合い、息の合う瞬間。
それが決まったときの一体感は、ソロでは味わえない感覚でした。
失敗のたびに“すけびと”たちは何も言わずまた立ち上がってくれる。
その姿を見て、「諦めへんのは私だけちゃうんや」と思えたんです。
奈落獄で一番大きかったのは、勝つことより“支えられることの強さ”を知ったことかもしれません。
108階層を越えた瞬間
そして――ついに108階層を突破。
「あれ? もう終わり?」って、思わず声が出ました。
あまりにもあっけなくて、達成感より先に笑いがこみ上げました。
ここまでが奈落獄の第一のゴール。この先に、さらに難易度の高い「奈落獄 深部」という領域が待っています。まさか自分がここまで来れるとは思いもしませんでした。
「え、ここがゴール!?」って。
180階層まであると思い込んでたから、拍子抜けと嬉しさがいっぺんに来て、笑いながら肩の力が抜けました。
コントローラーを置いて、しばらく画面を眺めながら思いました。
「ここまで来れたのは、ほんまに仲間のおかげやな」って。
奈落獄って、“一人の限界を知る場所”でもあるけど、“誰かと繋がる強さを知る場所”でもある。
今でも、あの108階層の光景を思い出すと、胸の奥がじんわりあったかくなります。
奈落獄深部のドタバタ劇
奈落獄の深部は、ほんまに別世界でした。
一歩間違えばすぐやり直し。
5階層を連続で突破せなあかん構造になっていて、どこかで力尽きたら最初から。
「え、また最初からなん!?」って何度つぶやいたかわかりません。
でも、不思議とそのたびに笑ってたんです。
悔しいのに、どこか楽しい。そんなドタバタの日々が続きました。
奈落獄深部って、単なる高難度やないんですよね。
焦るほど足を取られて、慎重にいけば奇跡みたいに道が開く。
あの独特の緊張感と、静けさの中の達成感。
あれを味わうと、「もう一回だけ行こか」って思ってしまうんです。
……まぁ実際もう一回行ったら、すぐ後悔するんですけどね。
進めない日もあってええ
2階層以上で何度もつまずいて、1階層からやり直す日々。
それでも、昨日より少し遠くまで進めたときは、自然と笑みがこぼれました。
「やっと、ちょっとだけ進めた!」って。
ほんの数メートルの進展でも、奈落獄では立派な成果なんです。
うまくいかへん日があっても、それでええ。
進めない時間があったからこそ、ちょっと進めた日の喜びが何倍にもなる。
それに気づいた瞬間、奈落獄が少し優しく見えた気がしました。
悔しさも思い出に変わる
5階層で力尽きたときなんて、思わず「なんでやねん!」って声が出ました。
画面の前で一人ツッコミ。
悔しさと笑いが同時にこみ上げてくる。
「しゃ〜ない、もう一回行くか」って、つい笑いながらリトライしてました。
悔しいって、裏を返せば“まだ心が動いてる”証拠。
このゲームにまだ夢中で、諦めたくない気持ちが残ってる。
そう思ったら、次の挑戦ボタンを押す手が自然と動いてました。
仲間と駆け抜けた先に
そして最後の挑戦では、NPCと“すけびと”たちと一緒に全力で駆け抜けました。
火車を呼んで、走って、叫んで。もう夢中のドタバタ劇。
でも、あの混沌の中で「これが私の奈落獄やな」って笑ってたんです。
ついに深部6階層へ到達した瞬間、胸の奥から「いけたやん…!」って声が出ました。
派手な演出もない、ただ静かな達成の時間。
けれど、その静けさこそが、何よりのご褒美やった気がします。
思い返せば、奈落獄深部はずっとドタバタしてて、うまくいかんことばっかりやったけど――
その不器用な道のりこそが、私にとって最高の思い出になりました。
まとめ:自分のペースでええやん
奈落獄に挑んだ最初の私は、1階層で力尽きて「いやこれ無理やろ…」と笑ってました。
そのときは、本気で「自分には向いてへん」と思ったんです。
けど、少し休んで、寄り道して、装備をいじって、仲間を呼んで。
気づけば、少しずつ深くまで潜れるようになっていました。
奈落獄って、“がむしゃらに戦う場所”やと思ってたけど、実際はそうやなかった。
焦らず立ち止まって、自分のやり方を見つけていく場所なんです。
正攻法じゃなくても、遠回りでも、笑いながら続けられたらそれでええ。
それが、私がこの奈落獄で一番学んだことでした。
「すぐやられる私でも、ここまで来れたんやなぁ」って思えた瞬間、強くなることより、“楽しみながら続けること”のほうがずっと大事やと気づきました。
それが、何よりうれしかったんです。
奈落獄は確かに手ごわいです。
でも、無理せず、焦らず、笑いながら、自分のペースでええ。
立ち止まるのも進むうちのひとつ。そう思えたら、どんな深部でもきっと楽しめます。
……まぁ、もう一回やれって言われたら、たぶんこう言いますけどね。
「遠慮しときますわ〜」って(笑)。
この記事のまとめ
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- 奈落獄では、焦らず立ち止まることが前に進む一歩になる
- 正攻法にこだわらず、自分のペースで工夫して楽しむことが大切
- 仲間と支え合いながら挑むことで、プレイがもっと温かくなる
- 結果よりも「笑って続けられた時間」こそが最大の収穫


