『仁王2』行き詰まってた私が“急に進めた日”。火車と弓勢拳がくれた小さな突破口

『仁王2』寄り道ばっかりの私が、気づいたら前に進めてた理由|火車と弓勢拳のゆる戦記 仁王2

仁王2という世界に触れていく中で、私にはどうしても越えられへん壁がいくつもありました。

義刃塚の前に立つたびに、「今日こそは…頼むで…!」と心の中でつぶやきながら、まれびとさんの背中を見送る。その瞬間が、いつの間にか私の“儀式”になっていました。

火車も弓勢拳もまだ扱えんくて、自分にできるのは避けて、堪えて、また構える──そんな日々のくり返し。思うように動かれへん自分に戸惑いながらも、不思議とまれびとさんと並んで立つ瞬間だけは、つらさより楽しさのほうが勝っていたんです。

画面の向こうで一緒に動くたび、「あ、いま息が合った気がする…」そんな小さな手応えがじんわり心に残っていきました。向き合っていくほど見えてくるものがあって、気づけば私の中にひとつの答えが生まれていました。

「あ、自分のペースでええんや」

そう思えたとき、仁王2の世界がふっと軽くなったんです。寄り道ばかりしてたあのころは、ただ迷っていただけやなくて、じつは自分が進む道をゆっくり探していたんやと気づきました。

この記事では、私が寄り道しながら見つけてきた“ゆる戦記”と、火車と弓勢拳がくれた安心のヒントをお話しします。もしあなたがいま行き詰まっていたり、つまずいて心がしんどくなっていたら──。

「大丈夫、あんたのペースでええんやで」

そんな気持ちをそっと届けられたらうれしいです。

この記事を読むとわかること

  • 行き詰まったときに心を整えながら進むための工夫
  • まれびとさんとの共闘が支えになる理由と、その積み重ね
  • 火車と弓勢拳が安心感や前進のきっかけをくれる流れ

気づけば、まれびとさんに頼りきりでした。

仁王2に触れていく中で、向き合うほど見えてくることがありました。あのころの私は、画面の前で何度構えても、思うように体がついてこなかったんです。

「これ、ほんまに慣れていけるんやろか…?」──そんな戸惑いを抱えたまま挑んでいた時期が、確かにありました。

けれど、そこで私を前へ押し出してくれた存在がいます。それが、まれびとさんでした。

呼ぶのが特別でもなんでもなくなって、「今日もお願いしまーす!」が合図みたいになっていったあの感覚。あれはただ支えてもらうだけやなくて、仁王2という世界で“共に立つ力”を教えてくれる時間でもありました。

呼んで見送る、その一連が私の“心の整え方”になっていた

義刃塚の前に立つと、自然と深く息を吸い込んでしまいます。あの地点は、私にとってただのスタート位置ではなく、気持ちを整える場所でした。

「ほな、行こか…頼むで…!」と小さく呟き、呼び出す。
そのあと、勢いよく駆け出していく背中を数秒見送る。

この一連は、私の心を平らに戻す儀式でした。
まれびとさんの背中を見るたびに、「ああ、私もちゃんとこの場におるんやな」と思わせてくれたんです。

武器を握る手が震えるときでも、その背中が前へ引っ張ってくれる。
私はそのたびに、少しずつ自分を信じられるようになっていきました。

“同じ場に立つ”と気づけたとき、世界が少し変わった

最初は、何が起こっているか理解するだけで精一杯でした。けど触れるたびに、動きの流れがすこしずつ見えてきて、まれびとさんとの息が合う瞬間が生まれていきました。

同じ動きに反応できたとき。
危ない場面で助け合えたとき。

そのひとつひとつが、「私もこの世界でやっていけるんや」という静かな確信に変わっていきました。

ただ守られてるんやなくて、しっかり輪の中に立っていたんや──
そう思えた瞬間、胸の奥がふっとあたたかくなるのを覚えています。

まれびとさんの背中から学んだ、小さな“実践メモ”

まれびとさんの動きを見ているうちに、自然と身についたコツがあります。これは今も私の中で大事な基準になっています。

  • 危なくなる前に一度だけ下がって、呼吸を整える
  • 細かい攻撃は追わず、“大きい動き”のタイミングだけ捉える
  • 距離ができたときは気力を戻す時間と割り切る
  • 下がり続けるより横へ滑るほうが、視界が安定する場面が多い

私はこれを“背中で学ぶメモ”と呼んでいて、どんな強敵に向き合うときでも、このメモを思い出すことで心の余裕が生まれました。

「全部見ようとせんでええんや」
その考え方が、自分を追い詰めない大事な土台になっていきました。

アンインストールと再インストールをくり返してた。

仁王2に触れていく中で、一歩進めたと思ったら次の壁で足が止まる──そんな循環を、私は何度も味わいました。

気持ちが追いつかへん日には、「もう無理やわ…」とつい声が漏れて、そのままアンインストールしてしまうこともありました。でも時間を置くと、不思議とまた触れたくなる。

この“行ったり来たり”は、決して後ろ向きの行動やなくて、心を守りながらゲームと向き合うための、大事な調整時間やったんやと今では思います。

立ちふさがる相手に、心が折れそうになった瞬間

ある程度動きに慣れて、「あれ、私いけるようになってきたんちゃう?」と少し手応えを感じ始めたころ。

その直後に現れた相手の姿を見て、思わず固まりました。

デカい、速い、そしてこちらの動きを容赦なく押し返してくる。

触れた瞬間に視界が追いつかんほどの圧に飲まれて、気力も気持ちも一瞬でぐらついてしまう。

思わず「なにこれ?おかしいやん…!」と口から出て、何度挑んでも流れをつかめず、
「これ、どう立て直したらええん?」と本気で迷い込んでいました。

ただ、この“行き詰まり”は誰もが通る地点であって、ここでどう気持ちを扱うかが、仁王2を楽しめるかどうかの分岐点なんやと、ゆっくり理解できるようになっていきました。

しんどくなったときに効いた、私の“立て直しメモ”

続けて触れているうちに、「あ、こういうときはこうしたら落ち着くんや」と気づけたことがあります。それを私は“立て直しメモ”として大事にしています。

  • 相手の大技だけ覚えて、それ以外は深追いしない
    一つの動きだけを意識するだけで、視界がすっきりと整理されます。
  • 後ろへ逃げるより、横に滑るほうが落ち着きやすい
    下がり続けると視界が詰まりやすいけど、横にひょいっと動くだけで状況が変わります。
  • し込まれたら、ひと息だけ距離を取る
    すべてを回復しようとするんやなく、ひと息だけ入れるつもりで離れる。それだけでリズムが戻ります。
  • サブミッションで装備を整え、安心感を確保する
    少し防御を固くするだけでも安心感が生まれ、心の踏ん張りどころが増えます。

どれも小さな工夫やけれど、ひとつあるだけで心の折れそうな瞬間をやり過ごせるようになりました。仁王2は、この“ちょっとの余裕”が本当に大きな差になります。

「これ無理ぃ〜!」の日と、それでも戻ってきてしまう理由

「間合いどこ!?」「いつ動いたらええの!?」と叫びながら転がるばかりで、何をしても空回りする日がありました。もう笑うしかないレベルで、思考より先に体が混乱している。

限界がきて「無理ぃ〜!!!!」と叫んでアンインストールした瞬間、肩の力がふっと抜けて、心が軽くなるのを感じました。

そこからしばらくは別ののんびり系ゲームに避難して、釣りをしたり畑を耕したり。
手を動かすだけで心が落ち着いていく、あの静かな時間は、仁王2で張りつめていた気持ちをやさしく整えてくれました。

穏やかな世界に癒やされて、「やっぱり安らぎがいちばんやな〜」って思っていたはずなのに。

……気づけばまた、仁王2のアイコンにカーソルが乗っている。

戻ったらまた押し込まれるって分かってるのに、なんでか戻ってしまう。

あの世界には、うまく言えへん“引力”みたいなものがあるんやと思います。

そしていつの間にか手甲を握り、「もう一回だけ、ちょっと行こか…」とつぶやく私がいました。

その“もう一回だけ”が、また次の小さな前進につながっていくんです。

行き詰まって気持ちがしんどくなったとき、私がよく使っていた“小さな逃げ道”があります。正面から突破するばかりが答えやなくて、気持ちをふっと軽くする工夫も大事やと思うんです。

  • 本編から少し離れて、サブミッションで装備や魂代を整える
    少し固くなるだけで視界が安定して、次の挑戦がぐっと楽になります。
  • 別ののんびり系ゲームに避難して、手を動かしながら落ち着く
    釣りやクラフトのような“静かな作業”は、心を整えるのにほんまに役立ちました。
  • 「今日のところはここまで」と区切って、あえて途中でやめる
    無理に続けるより、気持ちをリセットしてから戻るほうが前に進めることも多いです。

がっつり向き合うだけが正解やなくて、いったん離れる勇気も、心を守る大事な手段やと私は感じています。

火車と弓勢拳で、世界がちょっと変わった。

「もう無理かも…」とアンインストールしては戻って、また挑んで。そんな迷走の時間をゆっくり越えたころ、ようやく辿り着いたのが、このふたつの技でした。

初めて手にしたときの衝撃は、今でも胸の奥に残っています。息がつまるほどしんどかった仁王2の世界が、火車と弓勢拳のおかげでふっと明るく見えたんです。

火車がくれた、ほんの少しの安心

それまでの私は、挑むたびに踏ん張りきれず、画面の前で肩を落とすことが多かったんです。強がりながら武器を構えても、心の奥にはずっと怯えが残っていました。

けれど、火車を扱えるようになった日──炎が足元に広がった瞬間、「あ、ちょっとだけ息できる…」と胸の緊張がふっとほどけました。

火車はただ火力が出る技やなくて、目の前に“ひとつ壁を置ける安心材料”として機能してくれました。それがどれだけ心を軽くしたか、今もよく覚えています。

火車が心の余裕を作ってくれた理由

  • 距離を作りたい瞬間に、自分の前をふさぐ“ワンクッション”になる
  • 素早く詰めてくる相手の動きが、火車で一瞬ゆるむ
  • 攻撃が続く場面でも、一呼吸入れる余白を作ってくれる

私にとって火車は、“削る技”というよりも、怖さを和らげてくれる安全ロープみたいな存在でした。

そこからは寄り道すら楽しくなって、景色を眺めたり、落ちてる装備を拾ってニヤニヤしたり。歩くだけでも楽しいと思えるようになったのは、火車のおかげで息ができるようになったからでした。

弓勢拳で、ほんの少し強気になれた

そして次に覚えた弓勢拳。これがまた、私の心に小さな火を灯してくれました。

初めて当てたとき、「おぉ、これ…私でもちゃんと扱えるやん!」と声が出たほど。あの手応えは、今も手甲を握ると甦る気がします。

気づけば前に出て、「このやろ、このやろ!」と口にしている自分がいて(笑)。それまでの私は避けるばかりで精一杯やったのに、弓勢拳のおかげで“向き合うことがちょっと楽しい”に変わっていきました。

弓勢拳が流れを変えてくれた理由

  • 気力を削りやすくて、相手の勢いが止まりやすい
  • 真正面から出しても使いやすく、難しい入力がいらない
  • 当たった瞬間に距離が生まれて、そのまま体勢を整えられる

「前に押されてどうにもならん…」そんな場面で流れを戻せる手段が生まれたことで、心の奥に新しい余裕が宿っていきました。

なんかよくわからんけど越えられた日もあった

火車を呼んで、弓勢拳を撃って、まれびとさんが隣で支えてくれて──その全部がかみ合った日。

気づけば相手の動きが止まっていて、「おぉ!いけたぁああっ!」と叫びながら、
「なんでいけたん?」と自分にツッコんでしまう(笑)。

運の要素もあったと思います。でも、そんな細かい理由よりも、“前に進めたという実感”が胸いっぱいに広がる瞬間のほうがずっと大事でした。

あの日の手応えは、今でも仁王2を続けるための灯になっています。

まとめ:今日も、火車と弓勢拳に助けられてます。

「これ無理ぃ〜!」って叫んでアンインストールしてたあのころの私が、いまでは火車を呼んで、弓勢拳を撃って、落ち着いて自分のペースで挑めるようになりました。

まれびとさんに支えてもらっていた日々も、振り返れば大事な通過点でした。あの背中に救われたからこそ、今の私の“仁王2の歩き方”があります。

今は、火車の炎も弓勢拳の一撃も、どちらも信頼できる相棒です。焦らんでもええし、うまくいかない日があってもかまへん。寄り道しながら進めるなら、それだけで十分やと思えるようになりました。

自分のペースで進んでええんやと気づけたこと

「みんなみたいにうまく動かれへん」「何回挑んでも越えられへん」。そんなふうに感じていた時期も、振り返れば全部つながっていました。

まれびとさんの背中を追った時間も、別のゲームに避難して心を落ち着かせた時間も、アンインストールして距離を置いた日も、それぞれが私にとっての学びになっていました。

そこから静かに芽生えたのが、「自分のペースでええんやで」という感覚です。これがあるだけで、仁王2の世界がぐっとやさしくなりました。

火車と弓勢拳がくれた“実用的な安心”

  • 火車は、距離を作りたいときに心を守ってくれる安心スキル
    相手の勢いをゆるめて、一呼吸入れる余白を与えてくれます。
  • 素早い相手の動きがゆっくり見える瞬間を作ってくれる
    これが“怖さ”を和らげてくれる大きな助けになりました。
  • 弓勢拳は、押し込まれた流れをリセットしやすい切り札
    当たった瞬間に距離ができて、体勢を立て直しやすいんです。
  • どちらも操作がむずかしくなく、自分のペースを整えやすい
    だからこそ、心の余裕を保ったまま挑めるようになる。
  • しんどいときの“気持ちの逃げ道”としても頼れる存在
    「ちょっと落ち着きたい」ときにも支えになってくれました。

火車が照らしてくれる一瞬の余裕も、弓勢拳の手応えも、どれも私に「楽しんでええんやで」とそっと教えてくれる大切なサインでした。

同じようにつまずいている人へ伝えたいこと

うまくいかへん日が続くと、「私には向いてへんのかな…」と感じること、あると思います。でも、立ち止まったり、別のゲームに避難したり、まれびとさんに頼らせてもらったりしてもええんです。

その全部が、あなたの旅の一部になっていきます。

火車や弓勢拳みたいに、心を軽くしてくれる相棒を少しずつ増やしながら、寄り道しつつ進めたら十分。それでちゃんと歩いていけます。

これからもゆるく、楽しく、小さな前進を積み重ねていけたらええなぁと思います。

自分のペースで歩いていく仁王2の世界は、今日も変わらずおもしろいです。

この記事のまとめ

  • まれびとさんに支えられながら少しずつ前進した体験
  • 義刃塚で心を整え「共に立つ力」を学んでいく流れ
  • 行き詰まりでアンインストールと再挑戦をくり返した心の揺れ
  • しんどいときに効く立て直しメモと小さな逃げ道の工夫
  • 火車が不安を和らげて一呼吸分の余裕をくれた安心感
  • 弓勢拳が流れを変え前に出る勇気をくれた心強さ
  • 寄り道しながら自分のペースで進んでええんやと気づけたこと