黒い砂漠には気がつけば7,800時間以上も遊んできたんですけど、新しい狩場が実装されたと聞いたときは、やっぱり胸がそわそわしたんです。
「どんな景色なんやろ、どんな敵なんやろ」って。
ところが実際に足を運んでみたら、そのワクワクが一瞬で静まりました。
敵がとんでもなく強くて、こちらが構える前にあっという間に倒れてしまう。
画面の前で思わず「ちょとぉ…これ無理やん…」とつぶやくくらい、手も足も出えへん状態でした。
「なら装備を整えよか」と何度も強化に挑んだんですけど、これがまた全然進まへんのです。
挑んでは失敗して素材がなくなる。
また集めて挑んでも、同じように進まず消えていく。
その繰り返しを重ねていたら、「なんやこれ、全然成功せえへんやん…」と画面の前で固まってしまって。
ふと、「もうやめよかな…」と手が止まりました。
今回は、そんな“狩り一筋の毎日”から静かに距離を置くようになった理由と、そのとき心の中で起きていた変化を、黒い砂漠を長く遊んできたひとりのプレイヤーとして綴っていきます。
この記事を読むとわかること
- 狩り中心の毎日から離れるきっかけになった心の変化
- 強化に行き詰まったあとに見えてきた落ち着ける遊び方
- 生活コンテンツで「自分ペース」を取り戻した実体験
狩り中心の毎日が“ちょっと違うかも”に変わった瞬間
黒い砂漠では、狩場へ向かうのが私の日常みたいなもんでした。
どの狩場に行くかを決める流れも、体が覚えているくらい自然で、“今日はこんな感じかな”と気分で選ぶのが当たり前になっていました。
そんななか新しい狩場が実装されたと聞いて、「どんな景色なんやろ」「どんな敵がおるんやろ」と胸がそわついたのを覚えています。
あの頃は、まだ期待のほうが大きかったんです。
新しい狩場の空気がしんどく感じたこと
ところが実際に足を踏み入れた瞬間、その期待は一気に冷えてしまいました。
空気がいつもと全然違って、敵がめちゃくちゃ強くて、こちらが構える前に押し返されるばかり。
「ちょとぉ…これ、どうにもならへんやん…」
そう口に出してしまうくらい、手も足も出ませんでした。
黒い砂漠の世界で長く遊んできた感覚からしても、この“噛み合わへん感じ”は初めてで、胸の奥がざわざわして落ち着かへん時間が続きました。
装備強化のループが心を削っていった日々
「なら装備を整えよか」
いつもなら、ここで気持ちを切り替えられるはずやったんです。
でも、そのときは違いました。
装備の強化に挑んでは素材がなくなり、また集めて挑んでも同じように進まない。
その繰り返しが、ただただ心をすり減らしていくばかりで、数字だけが静かに積み上がっていくのを見ていると、胸がぎゅっと苦しくなるような感覚がありました。
「なんやこれ…全然成功せえへんやん」
思わずそう漏れた自分の声が、ひどく疲れて聞こえたんです。
「もうええかな」と思ったときの静かな気づき
強化画面を前にしたまま、指先がふっと止まりました。
焦りも悔しさも、不思議ともう湧いてこなくて、ただ静かに疲れが広がっていくような時間でした。
「やめよかな…」
そう思った瞬間、胸の奥に張りついていた重さがすっとゆるんだ気がしました。
あれだけ焦っていたのに、ふいに力が抜けていくような、静かな時間でした。
生活コンテンツに足を踏み入れたときの安心感
正直に言うと、「もう狩りには行きたくない」と思った瞬間がありました。
強化が進まへん日が続いたあとやったので、ゲームの画面を見るたびに胸の奥がじわっと重くなるような感じがあって、足が狩場に向かへんかったんです。
そこで、「ほな生活コンテンツでも触れてみよか」と思い立って、気持ちのままに手を伸ばしたら…その世界は驚くほど静かで、やさしくて。
あのとき味わった空気の柔らかさは、今でも覚えてます。
プレッシャーのない世界に触れた心地よさ
最初に感じたのは、あの“静けさ”でした。
敵の攻撃に追われることもなく、数字に押されることもなく、ただ自分の手を動かした分だけ、素直に結果が返ってくる世界。
「今日はこれくらいでええかもな」
そんなふうに思えたのは、ほんまに久しぶりでした。
生活の世界には、狩りで感じていたあの重いプレッシャーがないんです。
どこか肩の力が抜けるような、呼吸がゆっくり戻ってくるような感覚で。
その軽さに触れた瞬間、「あ…今の私には、こっちがしっくりくるんやな」と、胸の奥でストンと何かが腑に落ちました。
生活装備を取引所で買ったときに感じた軽さ
生活道具は、自分で強化せずに取引所で揃えました。
強化の画面を見るだけで胸がぎゅっとする時期やったので、そこに時間も気持ちも使わんですむ選択を取った形です。
買った瞬間にね、肩の力がふわっと抜けたんです。
数字とにらめっこせずに済むことが、こんなに気持ちを軽くするんやって少し驚きました。
強敵に挑むときのような緊張もなく、素材を集める焦りもなく、ただ「これでええやん」と静かに思える。
その感覚が、長くこのゲームを遊んできた自分にとっては、思った以上に大きかったんです。
“しなきゃ”が消えていく感覚
気がついたら、「狩りに行かなきゃ」「強化しなきゃ」という気持ちはもう残ってへんかったんです。
強化が全然進まへん日が続いたことで、むしろ「もう強化はやらんでもええわ」と心が固まっていって、そこからは一度も触れようと思わへんようになりました。
生活コンテンツの中では、あの“義務みたいになっていた時間”がすっと消えて、自分のペースだけが残ったんです。
木を伐ったり、料理したり、取引所を眺めたり。どれも大きなことではないけれど、ひとつひとつが自分のペースで進んでいく。
それが、今の私には何よりもしっくりきました。
生活コンテンツに触れたあのときの安心感は、今でもはっきり覚えてます。
「ああ、黒い砂漠ってこんな優しい遊び方もあったんや」
そう気づけたのは、生活コンテンツに足を踏み入れたあの瞬間でした。
黒い砂漠に残ったのは、私らしい“自分ペース”という居場所
長いあいだ狩場を駆け回ってきた私にとって、黒い砂漠は“とにかく頑張る場所”みたいになっていた時期がありました。
けれど、生活コンテンツに流れ着いた今は、その頃の自分を思い返して「ようあんなに根詰めてたなぁ…」と、どこか他人事みたいに感じる瞬間があります。
狩りに没頭していた頃との意外なギャップ
以前の私は、狩りが日常のすべてでした。
狩場にこもって攻撃を避けて、やっつけて、また避けて…同じサイクルを毎日のように続けていたんです。
あの頃は“それが当たり前”やと思ってました。
でも、いま生活コンテンツに軸足を移して振り返ると、「あのときの私、めちゃくちゃ頑張ってたんやなぁ」って、少し笑えるくらい。
そう思えるのは、今がようやく肩の力を抜ける場所に落ち着いたからなんでしょうね。
ゲームとの距離感がちょうどよくなったこと
生活コンテンツを中心に遊ぶようになってから、ゲームと向き合う気持ちがふっと軽くなりました。
数字を追いかける焦りもなくて、「このくらいでええか」と思える余裕が戻ってきたんです。
狩りのように“成果を追いかけ続ける時間”ではなく、自分の手を動かした分だけ世界が広がっていく、そんな穏やかさがあるんです。
いつの間にか、「焦らんでええやん」「無理せんでええやん」という気持ちが素直に出てくるようになって、黒い砂漠との向き合い方がようやく落ち着いた形になった気がします。
“頑張りすぎない距離”って、こんなに心地ええんやなぁとしみじみ思いました。
「こういう遊び方でもええんやなぁ」と思えた話
このゲームって、気づけば効率とか成果に意識が向きがちなんですけど、生活コンテンツの世界に足を踏み入れてみてから分かったんです。
「あ、黒い砂漠って、もっといろんな遊び方を受け入れてくれる世界なんやな」と。
派手な成果がなくてもいい。
急がなくてもいい。
ただ、自分のペースで遊んで“あ、今の私はこれが心地いい”と思える時間が残っている。
狩りや強化から距離を置いてみて分かったのは、黒い砂漠には思っていた以上に、自分のペースでいられる場所が残っていたということでした。
無理に成果を追いかけんでも、数字に振り回されんでも、ただ「今の私はこれが心地ええ」と思える時間があったんです。
それを知ったとき、ようやく肩の力がすっと抜けた気がして。
この世界には、こういう落ち着き方もあるんやなと、しみじみ思いました。
まとめ
狩りから離れて生活コンテンツに身を置くようになってから、自分でも気づかんうちに背負っていた力みが少しずつほどけていきました。
「もっと頑張らなきゃ」と思い込んでいた頃の自分が、今ではどこか遠い景色みたいに感じます。
強化の数字に向き合い続けていた時期には見えなかったものが、離れてみたことでようやく見えてきたんです。
黒い砂漠には、思っていた以上に静かで落ち着ける場所が残っていて、自分の手を動かした分だけ小さく返ってくる──その確かさが、今の私にはいちばんしっくりきました。
何かを追いかけんでもいい。急がんでもいい。
ただ、その日の気分で向き合ってみて「今日はこれでええな」と思える時間があるだけで、世界はこんなにもやわらかく感じられるんやなぁと実感しました。
気がつけば、狩りを離れたというより、自然と“自分に合う場所”に流れ着いていた──
そんな小さな変化をたどっただけの話です。
でも、今の私にとっては確かな転機でした。
この記事のまとめ
- 強敵の実装と強化疲れが狩り中心の日々を見直すきっかけになったこと
- 生活コンテンツに触れることで心が軽くなり、無理のない遊び方に気づけたこと
- 自然と“自分ペース”で落ち着ける場所へ流れ着いた体験の記録であること


